気多大社

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創建年孝元天皇御代又は崇神天皇の御代
祭  神祭神:大己貴命・若宮社:事代主命・白山社:菊理姫命
格  式式内社(名神大)・能登国一宮・旧国幣大社
文化財 本殿(天明7年、三間社流造、檜皮葺、外壁は素木板張、国指定重要文化財)
拝殿(承応5年、入母屋、妻入、檜皮葺、桁行3間、梁間3間、外壁は素木板張、国指定重要文化財)
神門(天正12年、切妻、檜皮葺、一間一戸、四脚門、国指定重要文化財)
摂社白山神社本殿(天明7年、一間社流造、檜皮葺、外壁は素木板張、国指定重要文化財)
摂社若宮神社本殿(永禄12年、一間社流造、檜皮葺、外壁は素木板張、国指定重要文化財)
気多大社社叢(入らずの森:暖地性常緑広葉樹林、不可侵の聖地、神官も目隠して通過、国指定天然記念物)
神庫(天明7年、校倉造、檜皮葺、桁行1間、梁間1間、石川県指定有形文化財)
随神門(天明7年、切妻、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門−石川県指定有形文化財)

神  事例祭:4月3日
場  所石川県羽咋市寺家町
備  考気多大社は孝元天皇の御代に当地に巣食う怪鳥、大蛇を平定し北陸地方を開発した大己貴命を祀る為に、崇神天皇の御代に創建された神社です。気多大社の創建については諸説あり、当初は七尾市に鎮座する能登生國玉比古神社が本宮(元宮)として、そこから祭神が勧請されたとも云われます。記録的には奈良時代に成立した「万葉集」に天平20年(748)に越中国司大伴家持(奈良時代の貴族、歌人、三十六歌仙の一人、中納言)が気多大社に参拝に訪れ歌を残した事が記載されています。格式も高く「続日本紀」によると延暦3年(784)3月16日に従三位から正三位、「日本三代実録」によると貞観元年(859)1月27日に従一位勲一等に列していた事が記載され、平安時代中期に成立した延喜式神名帳には格式の高い名神大社として列記され、能登国一宮として格付けされました。元々は越中国一宮とされ、能登国が越中国から分立した事で能登国の一宮になったとされます。その為、上記のように越中国司に就任した大伴家持が参拝に落と訪れています。又、越中国では改めて気多大社の分霊を勧請して国府近くに気多神社(富山県高岡市伏木)を創建し越中国一宮となっています(越後国一宮を主張する居多神社も気多大社から分霊が勧請され創建されたと推定されています)。中世に入ると能登国守護職を担った畠山氏が崇敬庇護し社領の寄進や社殿の造営が随時行われました。江戸時代に入ると加賀藩主前田家により篤く崇敬され社領350石が安堵され、藩費によって社殿の造営や営繕工事が行われました。明治時代に入り別当寺院とは分離し国幣中社に列し、大正時代には国幣大社、太平洋戦争後には別表神社に列格しています。
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